女優・黒木華がベルリン国際映画祭で最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞し出世作ともなった映画「小さいおうち」。
その黒木華が演じるタキが本当に好きな人は時子だったのでしょうか?
手紙を渡さなかった理由にある真実とはなにか。
そして「長く生きすぎた」のセリフから読み取れるものとは。
本記事ではそれらを考察していきます。
「小さいおうち」タキが本当に好きな人
この映画を何気なく普通に見終わると、時子(松たか子)と板倉(吉岡秀隆)の秘密の恋のお話だったという感想を持ってしまいます。
一見そこが本筋のように思えますが、そうなると不都合というか説明できない場面に疑問を抱くことになります。
それはタキ(黒木華)の言動。
結論から言いますと、タキは時子のことが好きでした。
今でいういわゆる同性愛。
例えばそれがわかる場面では…
タキが時子にマッサージをしていたシーン
タキがお見合いをさせられて女中部屋で泣いていたシーン
タキが時子の同級生睦子に相談するシーン
などがそういうことです。
現在の世の中では広く認知されている同性愛ですが、タキが想いを寄せていた当時はもちろんご法度です。
田舎から上京してきたタキにとっては、自分の感情に戸惑いすら持ったでしょう。
というわけで時子への想いをひた隠しにしていたタキですが、この映画を同性愛的視点で観ると本質が見えてきます。
「小さいおうち」手紙を渡さなかった理由
この場面も初見では、実は板倉のことを好きだったタキが時子に意地悪で手紙を渡さなかった。
このような見方にとらえる方が多いと思います。
しかし、タキが時子を好きだったという視点でみたらどうでしょうか。
タキは時子への恋心から、二人を会わせたくなかった。
だから手紙を渡さなかったとも考えられます。
もう少し深読みすれば、時子は出兵前の板倉との最後の逢瀬に一人で行こうとしていました。
時子がどういう覚悟で行こうとしていたのか、戦争を前にした背景を考えるともう戻って来ないということも考えられたと思います。
だからこそ最悪の事態を想定してタキは手紙を渡さなかったのです。
女中として仕えそれまで時子に一切逆らわなかったタキ。
このときだけ強く時子を引き止めたのには、好きな時子にもう会えなくなるかもしれないと感じ取ったからかもしれません。
「小さいおうち」長く生きすぎた…の意味
「私、長く生き過ぎたの…」このセリフですが一言でこうですと言い切れないぐらい複雑な想いが込められています。
余談ですが、もともとこのセリフは原作にはなかったそうです。
監督が撮影中に思いついたセリフを倍賞千恵子さんに伝えたところ絶賛されて採用になったそうです。
話を戻しますがとても印象に残る言葉「私、長く生き過ぎたの…」。
どういうこと?と思われた方も多いはずです。
文字通りなら私だけが長く生き過ぎたという罪悪感に思えますが、そんな単純なものでもありません。
手紙を渡さなかったこと。
やはりここが起点となり長く生き過ぎたことで後悔や罪悪感に耐え続けた60年だったのでしょう。
戦争という時代に飲み込まれて時子を想う気持ちから手紙を渡さなかった。
あの時手紙を渡していれば、いやそもそも引き止めなければ時子は生きていたかもしれない。
その後時子は亡くなり謝ることもできない。想いを伝えることもできない。
ひいては板倉の人生も狂わせてしまったかもしれない。
そして時子の息子恭一ぼっちゃんのことも。
そんな色々な想いと感情で苦しんできたタキの全てが凝縮されたセリフが「私、長く生き過ぎたの…」だったのです。
逆にとらえると「私、長く生きたくなかった…」という意味だったようにも思えます。
まとめ「小さいおうち」タキが好きな人
筆者も初めてこの映画を見たとき、時子と板倉の恋路が本命だと思ってました。
そして二人のあいだで女中のタキが板倉に好意を寄せる三角関係にもみえました。
しかし、そう思って見ていた終盤「私、長く生きすぎたの…」のセリフにふと疑問を持ちました。
どういう意味だったんだろうと。
さらに終盤ラストシーンに向かうまでの展開が時子と板倉の恋路に揺れる女中のタキという単純なものではないと確信。
そして本作を調べるとタキが好きだった人は時子だったのかといろいろと納得することができました。
それにしても黒木華さんはこういう役が上手というかほんと似合います。
純粋で魅力的な昭和の女性を演じさせたら抜群ではないでしょうか。
